慈眼寺のしだれ桜

花の下で、歩き始めたばかりの
小さな子供が、兄弟姉妹に
見守られながら楽しそうに
楽しそうに
大地を踏みしめていました。

死ぬのなら弥生の桜の下で
望月の頃が良いと
西行は歌っていますが
その頃に、生まれてくるのなら
きっと、もっと良いに
違いありません。

彼らが、長い人生を旅して、どこか遠くの地に行ってしまうとしても
この日見た、吸い込まれそうな青い空と、風に踊りながら
舞っていた白い桜の幻影は、折にふれてきっと彼らの心の中に
蘇るに違いないのです。

花と、風の記憶は母や故郷や同胞や、それからもっと深い
自己存在の理由へと繋がっているように思えてなりません。


慈眼寺をまず皮切りの花編路

地に置かれ歩き初めの花日和り

歩き初む道を飾りて落ち椿