秋の野

誰が名づけか、こんなに
小さな可愛い花に
「継子の尻拭い」
花は可愛いが茎に
無数の刺とげがある。
確かにこんなんで
お尻拭われたら
チクチク痛かろう。

薄く透明な秋の光の中で
又、不確かな感傷を
噛みしめながら
佇んでいる。

お尻を拭いてやるぐらいだから
継子は未だ赤子だろう。
柔らかな赤子の尻を無数の刺で
引き裂くほどの
憎しみとは如何なるものか
強烈な愛も知らない代わりに、私は
血の吹き出るような憎しみも知らない。

ただ何時の頃からか
野にばら撒かれた
金平糖のような
この花の名を呼ぶ度に
私は人の心の不条理を噛みしめる。


恐らく、子が親に求める愛は
信仰に近い。
だが、言って良い事かどうか
判じかねるが、昨日までただの
普通の娘が、
子を産んだからと言って
突然に聖母にはなれまい。
ましてや、生んでいない子なら
なおさら、、、。 

だが、ままよ、
信仰とは常に不確かなものを
信ずるところから始まる。

「女郎花」

「藤袴と吾亦紅」

「桔梗」

「竜胆」

「薄」