カメラはもとより
人に伝えるべき
ひとひらの言葉も
持ち合わせなかった昔
葉を染めて
山を焼き
風を呼び求めては
山肌を覆い
やがては静かに眠りゆく
森の木々たちの
遷ろいの時を
写しとる術は
ただ一つ
風となり
空となり
山となって
ただ、立ち尽くすことであった。
耳目と肌と心の奥に
只管(ひたすら)
森羅万象を
焼き付けるために。
幾千幾万の淋しさを燃やして、天がささやく幽かな声を
しかし、どれだけ拾い得たろうか。
永遠と思われた歌声も、足元に散るひとひらのもみじ葉に似て
拾う後から後からと跡形もなく色を変え消えていく。
だから、今、私は取り敢えず、取り敢えずと時が映す貌(かお)の断片を
カメラに収めることに躍起となっているのかも知れません。
言葉は後から写真の中に探そうと。
そして、その功罪が如何様なものか、今の私には知る術がなく、、、。
日本水(やまとみず)の森