追憶の記

成田から飛行機で、14時間15分要したとはいえ、
朝になって、バスの車窓にギザのピラミットを見た時には
「ああ、とうとうエジプトに来た」という感動を
禁じ得ませんでした。
エジプトですぞ。ピラミットですぞ。
かのクレオパトラが生きて歩いた土地ですぞ。

ただ、5月の爽やかな日本から
いきなり、34度とも35度ともいう気温の
エジプトの地に降り立った私は
何度か熱射病寸前の危機的状況に陥りました。
(教訓)旅の初心者は昼食にワインを注文するのは止めましょう。

日本に於て、お城は
濠や石垣に囲まれ守られましたが、
全国土が要塞に囲まれ守られたという事は
ありません。
しかし、大陸続きの国々は常に隣国からの攻めに
備えた城壁を必要としたようです。
堅固な要塞を造り、国民をいかに守るかが
国王の最大の務めであったもようです。
しかし、盛者必衰の理り、
砂に埋もれ眠る幾つもの遺跡の跡は
多くの王朝の興亡を、余す事無く物語っています。
どんなに多くの夢や欲望、権謀術策や裏切り
はたまた、心躍らせるロマンが存在した事でしょう。

この国は乾いていて、さして雨も降らないのに
その上、お腹に大きな砂漠を抱えているのに
ナイルを滔々と流れるこの豊かな水は
本当に何処からやってくるのでしょう。

5千年の歴史の中には
キリストの足跡も残っていました。
キリストがマリアと共に身を寄せていたという
古い小さな教会がありました。
歴史が形として、確かに存在している事に
驚愕にも似た思いをいだきました。

しかし、ここトルコも雨が少なく
水が貴重な国であることに変わりは
ありません。
山肌は常にラクダ色をして、日本のような
緑なす山々というわけにはいきません。
枯草に覆われた山肌にオリーブの木が
点々と植えられているだけです。

そして、どこに行ってもホテル以外
トイレが有料です。
私たちは常に小銭を握りしめてトイレに
赴かなければならないのです。
それは、エジプトも同じ事でした。
トイレで待つ女性にお金を払うと、ペーパーを少しちぎって渡してくれます。
水は出たりでなかったり、いや〜大変でした。

砂地に植物を植え、少しでも緑地を
増やそうとしている様子が窺えます。
ここトルコの人々にとって地球温暖化は
深刻な問題として、国の政策の
大きなテーマになっているようです。
しかし、この問題は恐らく
地球全体の問題として大きく
私たちの上にも係って来る事だと思います。

エジプトから空路2時間で
トルコのイスタンブールに到着します。
トルコの空は印象的な深いコバルトブルーです。

外国を旅行していると、ガイドさんの
話題に上るのが、その日の為替トレード。
石油の値段変動、日本人がこの国に
何をしてくれたか。
例えば、遺跡を発掘するのを手伝ったとか
道路や橋を作ってくれたとか
車の工場を建てて、失業率を減らしてくれたとか。
そうした話を聞くにつけて
グローバルな視点から日本を見詰め直していかなければ
ならない必要性を感じました。
この国に関わっている企業や企業人はもとより、名も無い一人の旅人であっても
その肩越しに日本を見つめられているのです。
そしらぬ顔をして道を歩いていても、「コンニチワ」と呼びかけられます。
日本にいた時には、たいして気にも留めていなかった日本の名前を背負って
歩いているかのようです。
残念ながら私は、この国のように角々に国旗を掲げるような愛国者ではありませんが、
少なくとも、日本に泥を塗る者には、なりたくはないと思ったものです。
特に、輝く瞳をもった少年少女達の前では、日本人として良識を持った旅行者でありたいと
ささやかながら願った旅でもありました。
旅は常ならぬことを人の心に運んでくれるもののようです。

さて、旅から帰国してだいぶ日が経ちました。
千枚以上の写真の中からこのページに載せるべく何枚かを選択する作業が結構大変で
とても疲れました。